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2017年01月15日  
堂々川砂防(神辺町)へ行きました!
 ■ 福山市神辺町へ行って来ました!



福山市北部の町、神辺に行って来ました!
その前に、去年10月にオープンしたばかりの「道の駅びんご府中」寄ってきましたよって!




  看板はふちゅう(ふつう)でちゅっ!
 
 
     府中市初の道の駅ということですが、比較的市民の生活の場に近いところにある道の駅です。

ほぼ国道486号線沿いで、府中天満屋の隣になります。

 これは、現地に飾ってあったここの模型!
 従来のドライブがてらに立ち寄る「道の駅」から、地域の人たちも気軽に利用できる施設になっています。

地域特産品の販売スペース、カフェレストラン交流テラスキッズスペースが整備されています。
 
 

 
 府中市らしくをふんだんに使った建物で、大きく張り出した軒下があり店頭販売もできます。
この日は、コーヒーを挽いて販売もされていました。

お近くを通られたらお立ち寄りください。

 
  堂々川砂留群(神辺町)


「道の駅びんご府中」からクルマで約30分!
今回の第一目的地、国の登録有形文化財「堂々川砂留群」へ到着!

"堂々川"は芦田川の支流で、江戸時代に土砂災害で多くの犠牲者を出したことから"砂留"(砂防ダム)が造られた場所なんです。




 
 
   流域には、1730年ごろから"砂留"(すなどめ)が建設され、今でも16基が現存しています。

この度は、その内、国の重要有形文化財に選定されている6基をご紹介します。


 まず一番下流にある「1番砂留」
幕末から明治にかけて殖産興業によって日本各地に欧米技術による砂防ダムが建設されましたが、"堂々川の砂留"は、それとは違って日本独自のお城の石垣を造る方法から発展した建築方法でした。


 1番砂留から上流へ180mの所にある"2番砂留"
 
  "2番砂留"は、 幅26m、高さ3.9mと"1番砂留"より大きくなっています。
ちょっと水が染みています。
これらの"砂留"は、現在もその働きを保っています。
 
 3番テーブルではなく"3番砂留"は、1832年に着工、幅は36m、高さ5.5mとなっています。

 
   
   広島県は殆どが花崗岩で、下流は風化した花崗岩が堆積した平野になっており、土砂災害の危険箇所が全国で一番多いところです。


 "4番砂留"は、更に130m上流にあります。
 しかも江戸時代には、森林の乱伐採によって禿山が増え、土砂災害が各地で発生したようです。
人間は、当時から同じようなことを繰り返していたんですね。


 3番に比べて造りが整然としていると思ったら、大部分を大正時代以降に改築しているということです。
 
     更に180m上流に"5番砂留"があります。
高さ8.8mとかなり大きな"砂留"になり、まさにお城の石垣のようになってきました。

 
                       "5番砂留"
水の量もだいぶ増え、形もダムっぽくなってきました。 
 
 
  川と並走して県道が通っていますが、周囲は自然豊かで、比較的静かな場所です。

 アオサギが飛んでいました。 
   220m上流の"6番砂留"に到着しました。

 
 
   "6番砂留"の上は整備され「堂々公園」となっています。
この日は、中学生が野球の練習をしていました。
また、周辺一帯を地元の「堂々川ホタル同好会」の方々が清掃活動や植樹を行うことによって、四季折々の景色を堪能できる場所となっています。

 
 今に時期は冬ザクラ椿、春はが咲き、6月はホタルが舞う水辺となります。

 
   
   "6番砂留"は、水量も多くなりました。
"砂留"は階段状に石が積まれており、ダムのように少し湾曲しています。
 "6番砂留"は、砂留群の中で最も大きく、地元では「大砂留」と呼んでいるそうです。
基礎は1773年に造られ1835年に完成しています。


安佐南区の豪雨災害を受けて作られている「砂防ダム」も先日やっとその一部が完成しましたが、200年以上前から同じような経験を繰り返しているんですね。
 
 
 

 
 コンクリート壁のアーチダムよりカッコイイ感じがします。

広島県は、土砂災害の危険区域が多いところです。
興味を持たれた方は、1月13日(金)~3月20日(月・祝)、「草戸千軒ミュージアム」(JR福山駅北)で開催中の「ひろしまの災害と防災」展で学んで下さい。

 
  葛原しげる(作詞家)の生家を訪ねる



「夕日」「村祭り」などの作詞を手がけた葛原(くずはら)しげるは、神辺町の出身ということでその生家を訪ねました。






 
 
     1886年生まれで4,000篇にも及ぶ作詞を手がけ、いわゆる「童謡」のさきがけとなったヒトです。

生家の前には「夕日」の詩が書かれた碑が建っています。「夕碑」です。
 
 作詞家だけでなく終生教育者として活動し、いつも子供は"ニコニコピンピン"を願っていたことから「ニコピン先生」と慕われていました。


 
 
 

  ● OMAKE
 ここの縁側からの景色は畑が広がり、その向こう側に沈む夕日を見ながら作詞をしたのかと想像しました。

琴の代表的作曲・演奏家の宮城道雄(父が福山出身)とも親交が深かったそうです。




     歴史ある町"神辺"でした。
ところで1月15日(日)は、広島県内記録的な大雪となりました。
広島市内で19cmの積雪は過去3番目の多さで、15cm以上の積雪は1986年以来31年ぶりとなります。