2016年05月22日 |
日本遺産 in 呉
■ 日本遺産in 呉 4月25日に「日本遺産」第2弾の19件が認定されました。 広島県内では、またも尾道市(因島ほか)、と呉・横須賀・佐世保・舞鶴が旧鎮守府として広域で選ばれました。 呉市と言えば、新庁舎が2月に落成したばかり!良い事づくめでした。 |
早速、新庁舎の中には、横断幕が掲げられました。 「日本遺産」は、文化伝統を語るストーリーとして認定するので、"ストーリー性"が何処なのか良く分からないので調べてみました。 正式タイトルは、「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」です。 |
日本遺産目指してまず最初に訪れたのは、呉市郷原にある「本庄水源地」です。 一般の中への入場は出来ませんが、付近から覗くことができました。 堰は、河口でもないのに花崗岩で出来ており、重厚な姿を醸し出しています。 |
このダムは、軍用水道の水源地として、 大正7年(1918年)に築造され、当時は東洋一の規模を誇り、今も稼働している水源地としては、日本で初めて国の重要文化財に指定されました。 |
戦後は、市民の水源として活用されていますが、ご近所の方にお話を伺うと「えっ!ここが日本遺産?」と驚くばかり! これを機に成り立ちなど学ぶといいですね。 尚、国ではなく市の施設なので、"ダムカード"はありません。聞いてもムダです。 |
旧鎮守府の水源からスタートしたストーリーは、河口の海上自衛隊第1潜水帯群へ向かいます。 「あっ!軍艦が見えてきました!」 |
そこには、日本で唯一至近距離で潜水艦を見ることができる公園「アレイからすこじま」があります。 旧魚雷積載用クレーンがモニュメントとして置かれており、アレイからすこじまの護岸(旧呉鎮守府兵器部護岸)とともに「日本遺産」の構成施設となっています。 |
ここだけは、「日本遺産」の歴史的ストーリーが今も繋がっていることを実感する場所です。 |
「入船山記念館」に象徴的な建物が幾つかあり、まず最初に見えてくるのは、「旧呉海軍工廠塔時計」。 この塔時計は、大正10年(1921年)に旧呉海軍工廠の屋上に設置され、昭和20年の終戦までその歴史を刻んできました。 |
その先にある重厚な建物は「旧高烏砲台火薬庫」です。 明治に作られ花崗岩で出来た重厚な建物は、1960年に入船山記念館に移設されました。 高烏砲台跡、大空山砲台跡も「日本遺産」を構成する場所です。行き放題でしたが行きませんでした。 |
この度の「日本遺産」認定をある意味象徴する場所「旧呉鎮守府司令官官舎」です。行き方を教えてくれた方に感謝です! 明治38年(1905年)に建てられ、表向きはイギリス風の洋館になっていますが、建物の裏の方は和風になっています。 |
続いては、いわゆる"大和ミュージアム"ですが、この施設ではなく、ミュージアムに所蔵されている資料が「日本遺産」の構成物となっています。 |
その資料の中には、ミュージアムの象徴、「10分の1戦艦大和」も含まれています。 |
何度か訪れた場所ですが、認定後に見る「大和」は、神々しい感じがしました。 |
"大和ミュージアム"は、開館10年目に当たる去年5月に入館者数が1,000万人に達しました。 年間の入館者数は、全国の博物館、美術館の中でも8位だそうです! |
たしかに線あるいは面でたどると歴史の勉強になり、街の発展が理解出来ました。 そろそろ呉の日も暮れるので終わりにします。 |