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2015年09月06日  
山口県周南市の"大津島"!
 ■ アイランド・シリーズは周南市の"大津島"!


 周南市「徳山港」から回天の島"大津島"を目指します!
周南市は、日曜日には大雨警報が発令されていましたが、この日は、かろうじて曇り空でした。



 
 
  徳山港からフェリーで44分、旅客船で18分ですから、車を港に置いて旅客船でGO!
観光、釣り、地元の方・・・雰囲気で分かります。

 
 "大津島"は、右の本島と左の"馬島"(うましま)が、その昔分かれていたそうですが、今は陸続きです。本島(本当)です。


 
 
  徳山港から10㌔!
 
"馬島港”の防波堤には、「かもめのミナサン」が勢ぞろいで出迎えてくれます。

 
"馬島港"の待合所です。
"馬島"は、今は町の名前ですが、単独の島だった島名の名残です。
 



 
   
       待合所の看板はラーメン店みたいでした。 





"大津島"には「回天の島」という看板が掲げてありました。
戦時中の特攻作戦のひとつ人間魚雷"回天"の島なんです。




 
 "馬島港"を降りてスグの所に回天による戦没者を供養する平和観音があります。
いつもの島巡りとは違って、まずは手を合わせてからスタートです。


 
 
     島と島のつなぎ目の平たい所に「大津島公園」があり、隣にログハウス風の宿泊施設「大津島ふれあいセンター」があります。

ここからスタートして、まずは、「回天記念館」を見て学びます。
 
 小高い丘に向かって10分ほど歩いて行くと「回天記念館」です。
記念館の建物へ繋がる道には、回天による戦没者145名の氏名と出身地が書かれた御影石の銘板が並べられていました。


 
 
   瀬戸内海が望める記念館元兵舎のあった辺りだそうで、海を見つめながら様々な思いがよぎったことを想像させられます。

 
海中から回収された"回天"の部品 
館内には、回天にまつわる遺品、写真、模型などの資料が展示されています。(入館料:300円)


 
   
     回天の碑には、大津島で産出された御影石が使われています。

 「平和記念の鐘」



 
 
人間魚雷"回天"は、船首に大量の爆薬を積み、人間ひとりが殆ど寝た状態で乗り込んで潜水艦から下ろされ敵艦へ向かいます。

全長は14.75m 原寸大のレプリカが記念館の前に展示されています。




  記念館に続いて、現存する「発射試験場」を訪れます。
   記念館とは、反対の海岸沿いの道を歩きます。
 
     案内板に従って進むとトンネルが待ち受けます。
狭いトンネル内の床を見るとトロッコレール跡が残っています。

 
 トンネルは途中でトロッコ2車線分の広さに広がり、左右の壁面には、回天にまつわる当時の写真が展示されています。

このトンネルは、魚雷調整工場から回天をトロッコに乗せ発射訓練基地まで運ぶために使われていました。

 
 
   途中、1箇所だけ横穴がありました。
トンネルの外はスグ海です。海の向こうに見えるのは"馬島地区"です。

 
 300m程のトンネルを抜けると岩場に突き出た「発射訓練場」が見えてきました。

 
 
   突端にある訓練場2階建てで、コンクリートがむき出しになっていましたが、70年以上前の建造物とは思えないほど形を保っていました。

 
 現在は、支柱などが崩壊しないように鉄骨で補強されてました。




  床には2本の魚雷発射訓練の溝がありました。
   しかし、回天は通常の魚雷より直径が太いため
   ここは使われませんでした。
 
     
その横に直接、海に下ろした思われる"回天用"のクレーンの台座跡がありました。
 ここから81基"回天"が潜水艦に搭載され敵地に向かいました。
隊員の没時の平均年齢は21.1歳という若さでした。
 
 
   ここで釣りをされている方を数人見かけましたが、少し違和感を覚えました。

 
 その後、"馬島"側の山を登ってみると、訓練基地が海岸線から飛び出しているのがいつまでも見え、現実の世界とのギャップを感じながら歩きました。





   どこの島もヒトが減ってネコが増える状況です。
 
     山から瀬戸内海を眺めようと暫く登っていると「只只(ただただ)」という宿泊施設に出くわしました。
ギャラリー風のエントランスです。

 
 大自然の山の中に突然現れた「只只」は、ひと組限定の宿泊施設で、ここから瀬戸内海が一望できます。
 
 
   中は拝見できませんが、料理は島にある食材を使い、お茶室露天風呂も備えているそうです。


 
 曇り空で、綺麗な海の色は見ることができませんでしたが、思いの巡る島巡りでした。