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2014年10月05日  
天空の産業遺産「別子銅山」(新居浜市)!
 ■ 新居浜市の産業遺産「別子銅山」へ行って来ました。

新居浜市は、愛媛県の東予なんよ。
この辺りは、昔から四国を代表する工業地帯ですが、かつてこの地に世界一の産銅量を誇った「別子銅山」がありました。


                   新居浜市の町と瀬戸内海 
 
     まずは、松山自動車道、新居浜I.C.から車で15分のところにある端出場(はでば)ゾーン「マイントピア別子」を訪ねました。

ここから観光汽車ポッポが出ています。

 
 これから山奥へ行くんで、まずは腹ごしらえです。
名物(らしい)「どんでん丼」を頂きました。
「新居浜太鼓台」を模した"かき揚げ"がうず高くトッピングされています。

「新居浜太鼓祭り」は四国三大祭りのひとつで10月15日から4日間開催されます。宜しければ行ってみて下さい。



  ↓ 地区ごとに「新居浜太鼓台」を持っているそうです。
 
 
     ここから遺構を生かした「鉱山観光」の列車が出ています。遺構ですが行きませんでした。


 
 「別子銅山」の歴史は、1690年までさかのぼり、1973年の閉山まで約300年間にも及びます。
「端出場ゾーン」の名前は、ここが最後の採掘場であることを表しています。
 
 
   今は、観光用の汽車が一部運行されていますが、当時は、この採掘列車が縦横無尽に走っていました。


 
 
この「端出場ゾーン」には、明治45年(1912年)に完成した"旧水力発電所跡"もあります。
緑に佇む洋館風の建物は、発電所には見えません。ましてや"羊羹"にも見えません。

 


 
 
     
大正4年に完成した別子銅山の大動脈「第四通洞(トンネル)」は、長さが4600mあります。
夏には冷気が吹き出しヒンヤリするそうです。
行った時には、水蒸気が出てモワッとしていました。

 
 
    ここの駅から奥へ「観光坑道」へと
     続きます。
 
 ↑
 鉄橋のサビしい雰囲気を醸し出していました。(突き当たりが"第四通洞")








 
 
   
 
 明治26年(1893年)に架けられた国内で現存する珍しい「打除(うちよけ)鉄橋」だそうです。
(国の登録有形文化財)



 
 最初の訪問箇所「マイントピア別子」に続いて、"東洋のマチュピチュ"と呼んでいる(あくまでご当地がそう呼んでいる)「東平(とうなる)ゾーン」へ向かいます。

途中、鹿森ダムを背景に架かるループ橋「青龍橋」は、"みろくの里"のジェットコースターを彷彿とさせます。


 
 
   「マイントピア別子」から車で40分!細い山道をひたすら登って行きます。見下ろす谷や赤石山系の山並みも絶景です。

 
 到着した「東平ゾーン」は、標高750m!下界に比べて気温が6~7度低く寒いほどでした。

駐車場から臨む建物は、当時の駅を利用して作られた「マイン工房」で、銅板レリーフなどの製作体験ができます。

 
   
   また、「東平歴史資料館」も併設されており、昭和30年代から40年代にかけての写真や映像で、当時の生活を垣間見ることができます。
最盛期には、約5,000人もの人たちがここで生活をしていたそうです。



 
 館内には、ジオラマや当時の生活品、銅製品などが展示されています。
入場無料ですので、まずは、資料館をご覧になってから遺産を見ると、より一層歴史を感じます。

 
   
     周囲は、自然がいっぱい!春は山ツツジで山全体がピンクに染まるそうです。
これからの紅葉シーズンも良さそうです。


 
 駐車場から「貯鉱庫・索道基地」跡を見ることができます。
ここからの眺めは、遺跡と自然が一体となった不思議な光景です。

「東平貯鉱庫」は、大正から昭和にかけて中心的に稼働しました。


  
 
     山頂から掘り続けられた「別子銅山」は、中心地を下へ下へ移して移していき、ここ東平は1916年から1930年まで別子銅山の採鉱本部が置かれました。
1968年には東平抗が休止され無人の地となりました。

 
 駐車場から遺跡の下までは階段でおりますが、この階段は、もともと生活用品や資材を引き上げたり下ろしたりする"インクライン"(ケーブルカーみたいなもの)だったそうです。
これを利用して作られたのが220段の階段で、一気に登り降りすると息があがりますが、足が上がらなくなります。
 
   
  上から眺めるとこんな感じ!
最盛期には、社宅のほかに学校、病院、娯楽施設など様々な施設が周辺に集まっていました。


 
 鉱石を粉砕・選鉱する「選鉱場」 と、選鉱後、鉱石を一時的に貯蔵する花崗岩作りの「貯鉱庫」 → 


 
 
   天候は、さほど悪くはありませんでしたが、それでも遠くの山頂付近には雲がかかり、天候が悪い時の厳しさを感じさせました。



 
しかし天気が良くて視界良好の時には、本州・福山の港のクレーンまで見えるそうで、この日もかなりの絶景を見ることが出来ました。

 
 
   一番下の段には、「社宅」跡を見ることが出来ますが、その広さ"6畳ひと間"程度でした。

 
 山の急斜面には、産業建築物ばかりでなく、病院や学校など、あらゆる生活施設が建てられ、「段々畑」ならぬ「段々都市」が展開されていました。

 
 
   今でこそ「自然に佇む産業遺産」となっていますが、当時は精錬などによる煙害問題などもあり、「別子銅山」も決して平坦な道ではなかったようです。
そんな当時の様々なことを想像しながら歴史に想いを馳せては如何でしょうか。
(東平の資料館を含めて観覧無料です。)