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2014年07月20日  
北九州市・八幡製鉄所は今!
  ■ 北九州市・八幡製鉄所は今!


広島から車で約2時間半、北九州市の小倉へやって来ました。
目的地は世界遺産に登録申請している「八幡製鉄所」ですが、その前に北九州市の都心、小倉北区を訪れました。

都心の象徴は、小倉駅近くの「リバーウォーク北九州」
福岡の"キャナルシティ"のような劇場や美術館を備えた複合商業施設です。

 
 
   「リバーウォーク」と隣接するのが"八坂神社"、新しい建物と古い文化的建物が道路ひとつ隔てて共存しています。

 
 "八坂神社"の入口(写真右奥)は、"水堀"と周囲のお城のような建物に囲まれてたいそう立派な雰囲気です。

 
 
   と思ってお堀の奥を見ると、やっぱりお城がありました。
"小倉城"です。
 

そうこうしているうちに、近代的建物の合間を祭りの山車が登場してきました。
丁度この日は、福岡県の無形文化財でもある「小倉祇園太鼓」の日だったのです。

 「小倉祇園太鼓」は、"無法松の一生"で有名になりました。




  ↓ 街中よりお濠端を練り歩く時が絵になります。
 
     毎年7月の第3土・日に行われ、約390年もの歴史を誇る北九州市を代表するお祭です。


 終点はお濠端でした。
  「暑かったねーっ」



 
 


山車パレードを見届けた後、"八坂神社"に行って参拝しました。

八坂神社は、北九州および周辺地域で最も多くの参拝者で賑わう神社、創建は870年です。
 



   "都会の中の神社"という感じです。
 
     「無法松の一生」に出てきそうな神社の方が2階の軒で煙草を吸っておられました。



 
 「小倉城」は、1602年細川忠興によって築造されました。
一度焼失し1959年に再建され、現在は"歴史資料館"になっていますが、当日は改修工事のため中へは入れませんでした。

 
 
     近くの川でカルガモを見つけました。
10匹ぐらいの子供を連れていました。
 

   小倉北区から戸畑・八幡東区へ!

続いて、この日の目的地"八幡製鐵所"へ向かいます。

"八幡製鐵所"(現在は新日鐵住金)は、旧官営八幡製鉄所として、1901年(明治34年)に操業を始め、100年以上もの間、日本の製鉄業の中心を担っています。

 
 
   最近、"八幡製鐵所"の施設の一部が、ユネスコ世界遺産への登録を申請し、正式に"推薦"されることが決定したそうです。
 
 一般には公開されていませんが、100年前から今でも現役で稼働している施設があり、これが世界遺産に登録されるかもしれません。

 
 
   北九州と言えば、八幡製鐵所をはじめ"工業都市"="公害"のイメージが強いところですが、近年では"エコタウン"などエコビジネスの集積や観光地としての取り組みが活発化しています。

 


 そのひとつ"八幡製鐵所 東田第一高炉跡広場"は、1972年に操業終了後、2001年の"北九州博覧祭2001"で保存・整備され、現在は資料施設として一般に無料開放されています。

"高炉"とは思えない真っ白な"巨大座薬"がそびえ立っています。






 
 
     ↑
ここには、白くモニュメント化された"煙突""熱風炉(3基)" と、
銑鉄を運ぶ列車"トーピード・カー"などが展示されています。


← 当時の人が・・・。





 
 "鋳床"も再現され、2階へ上がると当時の人たちが鉄を溶かしている作業を見ることが出来ます。

 
 
    
"トーピード・カー"(銑鉄運搬列車)は、八幡と戸畑間を走っていました。(昭和4年製)


 
敷地内にザクみたいな鉄の塊がありました。
"転炉"と言って銑鉄を鋼に転換する炉だそうです。
ここから鋼(はがね)がザクザク出てきたんでしょうね。 
 
   "高炉""除塵器"
高炉に書かれている「1901」は、八幡製轍所が創業を開始した年で、近代製鉄発祥の地のシンボルとして掲げられています。

 
 青空でよかったです。どうかすると、曇り空とグレーのモニュメントが同化してしましそうです。(鉄なのに銅か?)

 
 
   「東田第一高炉跡」の隣は"スペース・ワールド"です。
この辺り一体は、製鉄所の遊休地を利用して、商業施設やイベント建物、美術館などが併設され、かつての工業都市のイメージから観光・文化・商業施設に変貌しています。


かつて日本の経済を支えてきたシンボリックな場所として訪れてみて下さい。